前回更新時に雑記書くのをすっかり忘れていたことにいまさら気づきました。まあさして書くようなこともなかったと言えばそうなのですが…。

 今回の更新は若菜の続き、千恵子のエスが出てくる話です。とは言っても、まだ影も形もいませんね。次回か次々回に出てくる予定です(遅)

 ちなみに朝日屋さんというそば屋は、本当にあったものではなくてフィクションです。店名は我が家の近所にあるごひいきのお店から拝借しました。関係ないですが「そばを手繰る」って江戸弁なんですね……全国共通かと思ってた! あと「ばんたび」というのも共通語だと思っていたのですが、北関東とか山梨辺りで使う言葉のようです。でも落語なんかにもある気がするんですが、どうなのかしら。

 あと当時の用語やら学校システムやらがよくわからないという方も多いと思いますので(正直学校のアレコレは私もよくわからない!)、小事典なるものを作ってみました。目次ページから飛べますので、ご参考までに。

 以前感想を頂いた際に「難読漢字が多い」というご指摘がありましたので、一度読み直してみていくらか漢字を開いたり、ルビをふったりしたいと思います。この漢字が読めないとか地名がローカルすぎるから説明しろとかありましたら、ぜひお知らせください。

 次の更新は……なんだろ、交点かな、SSかもしれないです。

更新雑記

2007年11月22日 更新雑記
 遅刻する更新雑記…。

 ええと、若菜の幕間更新でした。男二人ばっか絡んでて女の子に接点がないのは寂しいので、千恵子と志摩子に出会ってもらいました。

 二人が話題にしていた叙情画家たちは、いずれも当時女学生や若い女性に絶大な人気を誇った人びとです。雑誌の挿絵や詩集・小説などの挿絵の他、便箋や封筒を始めとするレターセットにもイラストを描き、大ヒットしました。現在でも小学校高学年〜中学生くらいの女の子って、友達に可愛いレターセットで手紙を書きたがりますよね。古今東西、あまり乙女心に変化はないようです。

 現代でも有名な叙情画家と言えば竹久夢二(今年の夏はユニクロの浴衣に夢二シリーズが出てましたね)や中原淳一でしょうか。幕間に登場した画家たちを紹介すると、

 松本かつぢ:昭和6年にデビュー。くっきり・ぱっちりした目だけれどうりざね顔の、日本風少女を描く人。はつらつとして健康そうな画風で、後にはマンガにも挑戦した。

 高畠華宵:大正2年にデビュー。妖しい色気のただよう、エキゾチックかつアンニュイな雰囲気(両性具有的、と言う人もいる)の華麗な令嬢を主に描く。当時女学生の間で圧倒的に支持され、下に述べる加藤まさをと人気を二分した。

 加藤まさを:大正末期から昭和初期にかけて活躍。ちょっと物憂げな着物姿の女学生を、斜め後ろや横顔でよく描いた。華宵とは異なったイメージの、「背伸びすれば手の届きそうな憧れの人」が人気になった。

 ちなみに私は加藤まさをと竹久夢二が好きです。高畠華宵はどうもちょっといやらしいというか、エロティックに過ぎるというか。

 ところで第3話の執筆にあたって、参考になりそうな新書をゲットしました。竹内洋著「教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化」中央公論社(ISBN9784121017048)です。健一と俊介の違いを目の当たりにしたようでなかなかおもしろかったです(あと私が教養主義者だというのもよくわかりました…)

 次回更新は交点の予定です。

更新雑記。

2007年10月27日 更新雑記
 危うく1年経つところだった…! 交点の51話、更新しました。「去年のカレンダー」というより「去年とカレンダー」と言った方が正しい感じの、ティーンエイジャー2人のやりとりです。

 2月29日は言うまでもなく閏日、4年に一度しか来ない日です。閏年は英語ではleap yearと言い、夏季オリンピックやアメリカ大統領選挙の開催される年はleap yearなのだそうです(ということは、来年が閏年ですね) ちなみにleapは名詞では「跳躍」、動詞では「飛び越える」というような意味になります。

 「50:愛想笑い」と今回更新分では大人組がくっついてからのカタリナを主に書いたので、そろそろ当事者たちがどうなったのかを書きたいんですが…。次回のお題もまた難物そうで、どうしたものかと悩んでおります。

 青野優子さま企画の「覆面作家企画3」(http://fukumennkikaku.web.fc2.com/3/)が12月から作品募集されるそうなので、また参加したいと思っています。今回のテーマは「空」だそうですよ。この間ふっとアイデアが浮かんだんですが、どんなのだったかな…(メモしておけば良かった)
 1の時は隠すつもりもなかったせいかやっぱりすぐ何人もの方に見破られてしまったので(リアルの友人にはタイトルだけで特定されました…)、今回はちょっと気合いを入れて隠してみようかな、などと考えております。

 次回更新は若菜の幕間orSSの予定です。
 新しく追加したお題について、補足というか薀蓄。

「夜に口笛」:夜に口笛を吹くと鬼・人買い・蛇が現れる、という言い伝えがある。
「端にぞありける」:逢見むと云ひ渡りしは行末の/物思ふ事の端にぞありける(千載和歌集・巻14 大納言成道)
「朝顔の恋」:源氏物語「朝顔」より。
「ほのかに夢に」:仏は常にいませども/現ならぬぞあはれなる/人の音せぬ暁に/ほのかに夢に見え給う(梁塵秘抄)

「ものや思ふと」:忍ぶれど色に出にけり我が恋は/ものや思ふと人の問ふまで(小倉百人一首 平兼盛)
「一つとや」:数え歌の第一声。「和泉式部日記」とか。
「阿修羅のごとく」:昔こんなタイトルのドラマがありましたが…。

「悲しき玩具」;こんなタイトルの詩集が(以下略)
「飛縁魔の城」:丙午に生まれた女性は男を食う、早死にさせるという迷信があり、そこから日本のサキュバスとも言える類の妖怪となりました。
「燃え立つ蛍々」:我が恋は水に燃え立つ蛍々/もの言わで笑止の蛍(閑吟集)

「な見給ひそ」:「な+動詞連用形+そ」で禁止の意。
「遼遠の彼処へ」:幽闃のあなた、遼遠のかしこへ(草枕 夏目漱石)

「離れ難きは」:本より末まで縒らればや/切るとも刻むとも離れ難きは我が宿世(梁塵秘抄)
「暗きより暗き道にぞ」:暗きより暗き道にぞ入りぬべき/はるかに照らせ山の端の月(拾遺集 和泉式部)
「夢と知りせば」:思ひつつ寝ればや人の見えつらむ/夢と知りせば覚めざらましを(古今和歌集 小野小町)
「闇のうつつを」:夜の闇の中でのはかない逢瀬、ほどの意。

 次は聖書でお題とかやってみたいです。
 「若菜」の続き更新しました。これで第二話は終わりです。俊介と志摩子の馴れ初め話でした。DL版はちょっとうまくいかなかったので一度下ろしました(くそうF○2め…!) アップしたらまたお知らせしますねー。

 さて、今回の小ネタは「女学生言葉」です。むしろお嬢さま言葉と言った方がわかりやすいかな? 「〜てよ」「〜だわ」「ごめんあそばせ」みたいな奴ですね。

 昨今ではどこのシロガネーゼかマリみてかと身悶えしそうなこの言葉遣いですが、歴史は意外と新しく、明治から大正にかけてはむしろ間違った日本語、若者言葉として大人たちが眉をひそめる類のものであったようです。今で言う「歩った」(「歩く」の過去形で「あるった」と読むそうです)や「違くない?」(正しく言うとすれば……「間違ってない?」かな?「違ってない?」は微妙な気がします。派生系で「違うくない?」というのもある)のようなものだったんですね。

 しかし現代日本で「ヤバい」や「〜のほう」が徐々に中年層にも浸透しつつあるように、女学生言葉も昭和ごろになるとそれを使って育った世代が親になったため、世に広まるようになりました。志摩子は21歳で1910年(明治43年)ごろの生まれですから、まさしく大正時代の華々しい女学生文化に浸って成長したわけです。

 正直今回更新分はちょっと調子に乗りすぎたかな、と思わないでもないのですが、志摩子のもとの育ちの良さを彼女の遣う言葉に込めてみました。実際、一度身についた言葉遣いというのはなかなか抜けないもので、私もつい「〜じゃないですか」などと話し言葉では言ってしまうんですよね…。

 ところで彼女らの使う最強の一言がこれ。「良くってよ、知らないわ」。現代風に訳せば「別に」「フツー」「知らない」といったところでしょうか。今の中高生が携帯をいじったりテレビを見たりしながら親に言い放つと同じように、当時の女学生も手紙を書いたり小説を読んだりしながらこんなことを言っていたのかもしれません。そう考えると女学生言葉にもなんとなく親近感が沸きません?

 女学生言葉や女性言葉に興味のある方は、光文社から出版されている小林千草著「女ことばはどこへ消えたか?」がおすすめです。新書なので気軽に読めますよ。

 次回更新は戦争物(時期ですから)と、余裕があれば交点書こうと思っています。そういえばSSのリクエストなどありましたらお知らせくださいましね。ご要望にお応えしたいと思いますので。
 非常に長いブランク過ぎてめまいがしそうです。スランプに陥っている間に更新雑記用のブログもどきが消えてたのも衝撃でした……なんでも雷でサーバが落ちたそうですが。今までの雑記のログ、どうしようかなあ。

 そんなわけでようよう若菜の続き更新しました。あと1つで二話は終わりです。DL版は9と一緒に上げるつもり。三話は千恵子の学校生活に絡んだ話(決してエスが書きたいわけでは…!)を書く予定ですが、その前に幕間扱いで短いのをひとつ書くつもりでいます。

 さて、今回更新分は特に語るほどの小ネタもなくてなかなか困りものなのですが、ちょうどよく九尺二間というのが出てきたので、建築の単位とか長屋について薀蓄したいと思います。

 「尺」と「間」というのは日本の伝統的な長さの単位でありまして、一尺がおおよそ60cmに当たります。三尺、つまり1.8mが一間と繰り上がりますから、二間というのは大体3.6mです。尺はあまりお目にかかりませんが、間という単位は現在でも使う機会があるようです(私は去年、テントの縦横の長さを間で表すのだ、ということを初めて知りました)

 「九尺二間の長屋」というのは間口が九尺、奥行きが二間の1LK(?)のことですが、転じて非常に狭い家を指すこともあるようです。志摩子の家は2LK(ふたつの部屋と台所を兼ねた土間)ですから、文中では後者の意味で使っています。まあ米屋の坊ちゃんから見れば庶民の家は大体どれも遣れ長屋でしょうが…。

 健一の実家はそれよりは広いですが、弟妹がごろごろいる上、家の中に蚕屋を設けているという設定(どこで出すんだ、そんなもの)なので、実質的には志摩子の家よりも狭いかもしれません。普通に考えて勉強できるような環境で育ってないです、この人。

 あー、健一の子ども時代の話書きたい…!