「若菜」の続き更新しました。これで第二話は終わりです。俊介と志摩子の馴れ初め話でした。DL版はちょっとうまくいかなかったので一度下ろしました(くそうF○2め…!) アップしたらまたお知らせしますねー。
さて、今回の小ネタは「女学生言葉」です。むしろお嬢さま言葉と言った方がわかりやすいかな? 「〜てよ」「〜だわ」「ごめんあそばせ」みたいな奴ですね。
昨今ではどこのシロガネーゼかマリみてかと身悶えしそうなこの言葉遣いですが、歴史は意外と新しく、明治から大正にかけてはむしろ間違った日本語、若者言葉として大人たちが眉をひそめる類のものであったようです。今で言う「歩った」(「歩く」の過去形で「あるった」と読むそうです)や「違くない?」(正しく言うとすれば……「間違ってない?」かな?「違ってない?」は微妙な気がします。派生系で「違うくない?」というのもある)のようなものだったんですね。
しかし現代日本で「ヤバい」や「〜のほう」が徐々に中年層にも浸透しつつあるように、女学生言葉も昭和ごろになるとそれを使って育った世代が親になったため、世に広まるようになりました。志摩子は21歳で1910年(明治43年)ごろの生まれですから、まさしく大正時代の華々しい女学生文化に浸って成長したわけです。
正直今回更新分はちょっと調子に乗りすぎたかな、と思わないでもないのですが、志摩子のもとの育ちの良さを彼女の遣う言葉に込めてみました。実際、一度身についた言葉遣いというのはなかなか抜けないもので、私もつい「〜じゃないですか」などと話し言葉では言ってしまうんですよね…。
ところで彼女らの使う最強の一言がこれ。「良くってよ、知らないわ」。現代風に訳せば「別に」「フツー」「知らない」といったところでしょうか。今の中高生が携帯をいじったりテレビを見たりしながら親に言い放つと同じように、当時の女学生も手紙を書いたり小説を読んだりしながらこんなことを言っていたのかもしれません。そう考えると女学生言葉にもなんとなく親近感が沸きません?
女学生言葉や女性言葉に興味のある方は、光文社から出版されている小林千草著「女ことばはどこへ消えたか?」がおすすめです。新書なので気軽に読めますよ。
次回更新は戦争物(時期ですから)と、余裕があれば交点書こうと思っています。そういえばSSのリクエストなどありましたらお知らせくださいましね。ご要望にお応えしたいと思いますので。
さて、今回の小ネタは「女学生言葉」です。むしろお嬢さま言葉と言った方がわかりやすいかな? 「〜てよ」「〜だわ」「ごめんあそばせ」みたいな奴ですね。
昨今ではどこのシロガネーゼかマリみてかと身悶えしそうなこの言葉遣いですが、歴史は意外と新しく、明治から大正にかけてはむしろ間違った日本語、若者言葉として大人たちが眉をひそめる類のものであったようです。今で言う「歩った」(「歩く」の過去形で「あるった」と読むそうです)や「違くない?」(正しく言うとすれば……「間違ってない?」かな?「違ってない?」は微妙な気がします。派生系で「違うくない?」というのもある)のようなものだったんですね。
しかし現代日本で「ヤバい」や「〜のほう」が徐々に中年層にも浸透しつつあるように、女学生言葉も昭和ごろになるとそれを使って育った世代が親になったため、世に広まるようになりました。志摩子は21歳で1910年(明治43年)ごろの生まれですから、まさしく大正時代の華々しい女学生文化に浸って成長したわけです。
正直今回更新分はちょっと調子に乗りすぎたかな、と思わないでもないのですが、志摩子のもとの育ちの良さを彼女の遣う言葉に込めてみました。実際、一度身についた言葉遣いというのはなかなか抜けないもので、私もつい「〜じゃないですか」などと話し言葉では言ってしまうんですよね…。
ところで彼女らの使う最強の一言がこれ。「良くってよ、知らないわ」。現代風に訳せば「別に」「フツー」「知らない」といったところでしょうか。今の中高生が携帯をいじったりテレビを見たりしながら親に言い放つと同じように、当時の女学生も手紙を書いたり小説を読んだりしながらこんなことを言っていたのかもしれません。そう考えると女学生言葉にもなんとなく親近感が沸きません?
女学生言葉や女性言葉に興味のある方は、光文社から出版されている小林千草著「女ことばはどこへ消えたか?」がおすすめです。新書なので気軽に読めますよ。
次回更新は戦争物(時期ですから)と、余裕があれば交点書こうと思っています。そういえばSSのリクエストなどありましたらお知らせくださいましね。ご要望にお応えしたいと思いますので。
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