父と母の間に子はなかった。一度母が身ごもったのは戦場で、そうと知れずに流れたのだと聞いている。
自分に似ない息子を、それでも父は精一杯愛そうとしていた。
両親は子どものために歩調を緩めるということを知らないひとたちで、いつでも二人、肩で風を切って歩いてゆく。その堂々として誇り高い後ろ姿に、少年はいつでも憧れた。
だがその焦がれたはるかな高みが彼を見つめてくれることは滅多になく、もどかしいばかりに歩みの遅い己の足に泣き出しそうになりながら前を行く二人に言うのが常だった。待って、と、それはひどく勇気を必要とすることだったけれど。
冷たい薄いブルーの目といかにも軍人にふさわしいような酷薄そうな顔立ちとは裏腹に、実のところ父の方が彼には甘かった。立ち止まった父は少しだけ表情をやわらかくゆるめて振り返り、彼が彼の足で追いついてくるのをいつでも待っていた。そうして彼が大きくてごつごつした骨太なその手を取ると、父は良し、と空いた手で頭を撫でてくれるのだった。
対して母は照れがちな人だったのか、曖昧な困ったような微笑を浮かべて彼を見つめていることが多かった。女神像のようにうつくしい母の、その自分に似た深い緑のまなざしを、彼はとても好いていた。母は彼が父の手を取るのをじっと見つめていて、父にうながされて始めて気付いたとでも言うように、おずおずと彼の小さな手に指をからめるのだった。
――そうして、三人で手を繋いで歩いてゆく。二人だけでうつくしく完成され、完結された両親の間にその身を交えることができるのは、例えそれが不調和であっても自分だけ、彼らの息子たる自分だけなのだと思えば、一対を打ち壊してしまった言い訳も立つような気がした。
だけれどいつしか、待ってと縋ることをしなくなった。
「お前とお前んちの父さん、似てないよな」
それはもちろん自分のことであるから薄々知ってはいたものの、見ないふりをしていたことも、他人にそう言われればひどく傷つくことも事実だった。深い緑の目は母譲り、薄い唇やことさら白い肌もきっと母譲り。――けれど、母とも父とも違うこの金髪めいた薄い茶色の髪は。垂れ気味で、ともすれば優男にも見えるこの目元は。……誰から、譲り受けたというのだろう。
子どもの変化に敏かったのはやはり父で、どうしたと声をかけてくれたことは嬉しかったが、少し怯えた。だがそれでも言葉にしようと思ったのは、きっと母が出張でいない夜だったからなのだろう。
「ねえ、父さんは――本当に、俺の父さん?」
震えたまだ高い声に、父は顔をしかめて溜息をついた。それは父がごく困難な事態に行き当たった時に見せる表情だった。どう答えれば満足するのか知らないが、と捨て鉢気味な前置きをして、父は言った。
「私は子どもを持ったことはない。だがお前は彼女の息子だ」
それで十分だろう、と呟く父の口調は、ひどくやさしげだった。だから彼は、むしろ母こそがためらいがちであった理由をようやく知った。それは父に対する遠慮だったのだ。
なんと残酷なひとだろう。愛していないわけではないと知っているけれど、それでも彼女にとっての優先順位はもはや動かしようもなく決まってしまっている。だけれど、
「俺、父さんが好きだよ」
「ああ」
母が向けた想いの分まで父が愛してくれるから、それでかまわないような気もした。
血は水よりも濃いというけれど、そんなものは嘘だと知っている。
似ない父こそが、彼の誇りだった。
自分に似ない息子を、それでも父は精一杯愛そうとしていた。
両親は子どものために歩調を緩めるということを知らないひとたちで、いつでも二人、肩で風を切って歩いてゆく。その堂々として誇り高い後ろ姿に、少年はいつでも憧れた。
だがその焦がれたはるかな高みが彼を見つめてくれることは滅多になく、もどかしいばかりに歩みの遅い己の足に泣き出しそうになりながら前を行く二人に言うのが常だった。待って、と、それはひどく勇気を必要とすることだったけれど。
冷たい薄いブルーの目といかにも軍人にふさわしいような酷薄そうな顔立ちとは裏腹に、実のところ父の方が彼には甘かった。立ち止まった父は少しだけ表情をやわらかくゆるめて振り返り、彼が彼の足で追いついてくるのをいつでも待っていた。そうして彼が大きくてごつごつした骨太なその手を取ると、父は良し、と空いた手で頭を撫でてくれるのだった。
対して母は照れがちな人だったのか、曖昧な困ったような微笑を浮かべて彼を見つめていることが多かった。女神像のようにうつくしい母の、その自分に似た深い緑のまなざしを、彼はとても好いていた。母は彼が父の手を取るのをじっと見つめていて、父にうながされて始めて気付いたとでも言うように、おずおずと彼の小さな手に指をからめるのだった。
――そうして、三人で手を繋いで歩いてゆく。二人だけでうつくしく完成され、完結された両親の間にその身を交えることができるのは、例えそれが不調和であっても自分だけ、彼らの息子たる自分だけなのだと思えば、一対を打ち壊してしまった言い訳も立つような気がした。
だけれどいつしか、待ってと縋ることをしなくなった。
「お前とお前んちの父さん、似てないよな」
それはもちろん自分のことであるから薄々知ってはいたものの、見ないふりをしていたことも、他人にそう言われればひどく傷つくことも事実だった。深い緑の目は母譲り、薄い唇やことさら白い肌もきっと母譲り。――けれど、母とも父とも違うこの金髪めいた薄い茶色の髪は。垂れ気味で、ともすれば優男にも見えるこの目元は。……誰から、譲り受けたというのだろう。
子どもの変化に敏かったのはやはり父で、どうしたと声をかけてくれたことは嬉しかったが、少し怯えた。だがそれでも言葉にしようと思ったのは、きっと母が出張でいない夜だったからなのだろう。
「ねえ、父さんは――本当に、俺の父さん?」
震えたまだ高い声に、父は顔をしかめて溜息をついた。それは父がごく困難な事態に行き当たった時に見せる表情だった。どう答えれば満足するのか知らないが、と捨て鉢気味な前置きをして、父は言った。
「私は子どもを持ったことはない。だがお前は彼女の息子だ」
それで十分だろう、と呟く父の口調は、ひどくやさしげだった。だから彼は、むしろ母こそがためらいがちであった理由をようやく知った。それは父に対する遠慮だったのだ。
なんと残酷なひとだろう。愛していないわけではないと知っているけれど、それでも彼女にとっての優先順位はもはや動かしようもなく決まってしまっている。だけれど、
「俺、父さんが好きだよ」
「ああ」
母が向けた想いの分まで父が愛してくれるから、それでかまわないような気もした。
血は水よりも濃いというけれど、そんなものは嘘だと知っている。
似ない父こそが、彼の誇りだった。
コメント