インターミッション。
2004年8月25日 アクア=エリアス(?) かつて亡くなった母がその病床で、頼み事をしたことがある。いや、それが頼み事だったのかどうかはよくわからないが、なんとなく葉月は母の言葉を履行しなくてはならないような気がして、……だからひょっとしたらあれは頼み事というよりも、むしろ遺言なのかもしれない。
世界を見せてあげる、と言われてその気になったことは事実だった。けれどもそれは所詮事実の半分でしかなく、もう半分がずっと欠けているから、いつまで経ってもこの生活は歪だ。養い親との生活が幕を開けて、もうゆうに三年は経つのだけれど。
欠けたもう半分の理由は、遺言の履行である。つきつめて言ってしまえばつまり義務感というやつで、葉月などはしばしば、一体このもう半分の理由が養い親――葉月を純粋に憐れみ、慈しんでくれる亡霊――に知れたらどうなるのだろうと、不謹慎にもちょっとドキドキしている。いや、養い親はあれでずいぶんと甘やかしなところがあるから、きっと少し寂しそうに笑って、全部許してくれるのだろうが。
歪んだ生活もほぼ五年を数えるころ、葉月はもうずいぶんと成長していたが、そのせいだったのだろう、いつになく養い親が落ち込んでいることがあった。
亡霊のくせに人間以上に人間くさいこの――見た目だけ――青年は、落ち込み方も並みではない。落ち込むというより、ほとんど死体同然になる。どうせ食事などしなくても元から死んでいるし、もっと言ってしまえば眠らなくても存在し続けることは可能なわけだから、放っておくと何日でもぼんやり月をながめて過ごしている。喋りもしないし身動きもしない様子がまるで死体だと、葉月はたまに考える。もっとも、とうに死んでしまっている男なのだから、彼に対する形容詞はそれが一番ふさわしいのかもしれないが。
その日もちょうど養い親は『死体』になっていて、それでもわずかな気づかいか、葉月の目につかない屋根の上にだらりと寝そべり、月を見上げているようだった。いつもならば放っておく彼をわざわざ覗きに行ったのは、どう贔屓目に見ても酔狂としか言いようがない。あるいは悪趣味だろうか。ただ、視線をよこしもしない養い親に、いつになく嗜虐的な気分になったのは確かだった。
「――母さんがね、言ってたよ。氷河は傍にいてやらないとダメだって」
聡い養い親は、きっと自分が何を言いたいのか気づくだろうと葉月は思った。そう、僕は言ってやりたかった。いたいから傍にいるんじゃない、いてやれと母さんが言ったから、ここにいるんだ。
養い親はのろのろと顔だけをこちらに向けて、そうしてどこか寝ぼけたような、愚鈍な薄笑いを唇だけで浮かべてみせた。
「それでもいいんだ」
君は彼女の子どもだから。
――葉月はなんだか、背筋に寒気を感じた。
世界を見せてあげる、と言われてその気になったことは事実だった。けれどもそれは所詮事実の半分でしかなく、もう半分がずっと欠けているから、いつまで経ってもこの生活は歪だ。養い親との生活が幕を開けて、もうゆうに三年は経つのだけれど。
欠けたもう半分の理由は、遺言の履行である。つきつめて言ってしまえばつまり義務感というやつで、葉月などはしばしば、一体このもう半分の理由が養い親――葉月を純粋に憐れみ、慈しんでくれる亡霊――に知れたらどうなるのだろうと、不謹慎にもちょっとドキドキしている。いや、養い親はあれでずいぶんと甘やかしなところがあるから、きっと少し寂しそうに笑って、全部許してくれるのだろうが。
歪んだ生活もほぼ五年を数えるころ、葉月はもうずいぶんと成長していたが、そのせいだったのだろう、いつになく養い親が落ち込んでいることがあった。
亡霊のくせに人間以上に人間くさいこの――見た目だけ――青年は、落ち込み方も並みではない。落ち込むというより、ほとんど死体同然になる。どうせ食事などしなくても元から死んでいるし、もっと言ってしまえば眠らなくても存在し続けることは可能なわけだから、放っておくと何日でもぼんやり月をながめて過ごしている。喋りもしないし身動きもしない様子がまるで死体だと、葉月はたまに考える。もっとも、とうに死んでしまっている男なのだから、彼に対する形容詞はそれが一番ふさわしいのかもしれないが。
その日もちょうど養い親は『死体』になっていて、それでもわずかな気づかいか、葉月の目につかない屋根の上にだらりと寝そべり、月を見上げているようだった。いつもならば放っておく彼をわざわざ覗きに行ったのは、どう贔屓目に見ても酔狂としか言いようがない。あるいは悪趣味だろうか。ただ、視線をよこしもしない養い親に、いつになく嗜虐的な気分になったのは確かだった。
「――母さんがね、言ってたよ。氷河は傍にいてやらないとダメだって」
聡い養い親は、きっと自分が何を言いたいのか気づくだろうと葉月は思った。そう、僕は言ってやりたかった。いたいから傍にいるんじゃない、いてやれと母さんが言ったから、ここにいるんだ。
養い親はのろのろと顔だけをこちらに向けて、そうしてどこか寝ぼけたような、愚鈍な薄笑いを唇だけで浮かべてみせた。
「それでもいいんだ」
君は彼女の子どもだから。
――葉月はなんだか、背筋に寒気を感じた。
コメント