幼いころに母が歌った子守歌には、どうしてだろう、歌詞がなかった。少し大きくなってから聞いてみたことがある。どうして歌を知らないのか、と。
 そのころすでに床につくことが多くなっていた母は、笑って言った。
「この歌は、特別だから。歌詞を知ってるのは、特別な人だけなの」

 養い親に出会った時、葉月はすでに子守歌を必要とするような年齢ではなかった。だからあの、母が昔うたってくれた歌の歌詞を知っているかと、問うてみたことはない。ただ、彼女が『特別』というラベルを貼った相手は、おそらく彼なのだろうと思ってはいるけれど。
 頼めばおそらくきちんと答えてくれただろう。知っていると――あるいは知らないと言うかもしれなかったが――うなずいて、男にしては少し高めのテノールで、養い親は歌ってくれたにちがいない。ただ葉月は、強く記憶に残されたわずかな母の痕跡を、きれいに養い親で覆い隠してしまうことを恐れた。

 それは月の出ていない夜のことだったように思う。なぜなら、かつての母もいつもは傲慢なほどに強気の養い親も、新月の夜ばかりは小さくうずくまって泣き出しそうな顔をしているからだ。常日頃とは異なる彼らの姿は、葉月もよく覚えている。ただ、母がその姿を隠すことがなかったのとは違い、養い親は葉月に心配かけまいとしているのだろう、いつでも新月の夜に葉月の前に現れることはなかった。
 ひとりきり家の中で、たぶん本でも読んでいたのだろう。ふと耳に、どこかで聞いたことのあるメロディが飛び込んできた。――ああ、いや、だが。このメロディには、きちんと歌詞がある。養い親が、見えないどこかで子守歌を、しかもおそらくは自分自身をなぐさめるために歌っているのであろうことは明白だった。
 とぎれとぎれに聞こえるやさしいメロディは、聞き入るともなしに獣の耳を撫でて忘れられた、けれどもまだかすかに伝えられた言葉を葉月に届ける。それはどこか月のやわらかな光にも似て、半分だけ愛し子の血を引いた葉月を憐れむかのような歌だった。子守歌とは、元来そういうものなのだろう。
 やさしかった母の、歌詞のない歌声を思い出す内に、いつしか葉月はやすらかな眠りに落ちていた。

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