歪。

2004年6月17日 長編断片
 愚かな女です。
そのことを、あなたにだけは知っていてもらいたかった。

 男が死んだのだと、全権大使の青年から聞いた。数日前から姿を見せなくなっていた彼が故国へもどったのだろうことは薄々気づいていたけれども、望んでもどったのであろう国で、なぜ彼が死ななければならなかったのかがひとつもわからなかった。
 調印式が終わり、人払いをして静かになった東の要塞の一室で、女王ははしたなくも寝椅子にもたれて大きく喘いだ。血の気を失ってふるえる唇が、どうして、とつぶやいた。
「どうして、死んでしまったのですか……」
 あれほど自分が守ろうとしたものを――初めは彼が注いでくれる愛情と罪悪感に、そうして次には再び手に入れた権力にすがって。うばわれた、愛おしい人たちすべての命と天秤にかけて、それでもまだ彼の方が勝ってしまうほどに守ろうとしたのに。
 エゴイスティックなのだとわかっていた。自分のしたことはすべて、彼の意志をまるきり無視している。彼はいつでも、その首で罪をあがなおうとしていたのに見えないふりをした。
「女王、あの子はあなたよりも弱い子だったのですよ」
 いつからそこにいたのか、背後からやさしく気づかうようにかけられた老婆の声に、女王は知っていました、と弱々しく答えた。
「知っていました。けれども、あの方は約束してくださいました――生きてわたくしのためになってくれると」
「あなたのお役に立てないのなら、傍にひかえる必要もないでしょうに。……あなたは最後の機会を無駄にしてしまわれた」
 それが数日前の夜、疲れた顔で吐き出された懇願のことをしめしているのだと、女王にはすぐ理解できた。前線に出してくれないかと、男は頭を垂れてそう言った。
 ああ、けれども、たとえあれが最後の機会だったからと言って、みすみす彼を失うような真似を、自分が容認できたと思うのか? 答えは否でしかない。
 女王はヒステリックな笑みの形に口元をゆがめて、ふ、と苦しげに息をついた。
「それでもわたくしは、彼を愛していました」

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