雌雄。

2004年5月19日 長編断片
 手に入らないのなら殺してしまいたいと思うような男を、昔から捜していたような気がする。

 男のアパートにはクーラーがない。あるのは彼が実家から持ってきたというおんぼろの扇風機だけだったので、昨夜からの延長でこもってしまった熱を吹き飛ばすには、少し――というかかなり――物足りなかった。熱風を無意味にかきまわす機械が、哀れなほどだ。
 無論、死にそうなくらい暑い。けれども彼女は、男の身体にぴったりと這わせた汗でべたつく腕だの足だのを、引き離そうとはちっとも思わなかった。現代社会の男たちからは失われてしまったオスの匂い、たとえば肩口に噛みついた時に感じる汗の味や、追い詰められる寸前の混濁した意識がふと嗅ぎ取る麝香の香りが、彼女は好きだった。
 扇風機の低いうなりが聞こえる。カーテンの隙間からちらちらと万年床に日が差して、その光がまぶたに当たったのだろう、不意に絡ませた足の筋肉が隆起した。
「眠ぃ……さき、何時…?」
 かすれた声とともににゅっと腕が突き出てきて、枕元の携帯電話をまさぐる。十数分前にアラームが鳴ったのを、彼女は聞いていた。
「七時すぎ。さっきアラーム鳴ってたから」
 くつくつと笑って伝えると、男はうう、だかああ、だかうめいて、ようやく決心したようにむくりと起き上がった。そういえば、今日は早くから講義があるのだとか昨日言っていたような気がする。
 自堕落に寝そべったまま、男が部屋を行ったり来たりするのを見ていたが、ふと彼女は胃の辺りに手をやった。ひく、とうごめく内蔵に、そういえば昨夜辺りから空腹だったことに気づく。
「……なんか、おなか減った」
 ぽつんとつぶやくと、シャワーを浴び終え、上半身裸のままジーンズだけを身につけただらしのない格好でうろうろしていた男が、耳ざとくふりかえった。勘がいいから、この男は好きだ。
「したら、晩飯は外にしよう。どこ行くか決めといて」
「はぁーい」
 男が出かけてからもしばらくごろごろしてすごしていたものの、いつの間にか眠ってしまった。今日は帰りが遅くなるから、よく寝ておかないと。そんなことを、言い訳ぶって考えていたような気がする。

 遙か昔からこの身を苦しめる飢餓がなりをひそめることがあるのだとすれば、喰うことなど考えつきもしないほどに、つまり手に入らないのなら喰うよりも殺した方がましだと思えるような男がそばにいる時だけだと信じていた。そうして見つけた男は、まさしくそういう人だった。

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