彼がいなくなってしまってから初めて、自分がありがとうだとかそういう類の言葉をなにひとつとして伝えていないことに気付いて、愕然とした。言わなくても彼がいろいろなことを悟ってしまうことを知っていたから、わざわざ口にしたことがなかったのだ。大体、ちょうど思春期をむかえたばかりの自分は、そういうことを言うのがおもはゆかった。
 けれど、今になって後悔している。ありがとうもさようならも、なにも言えなかったことを。

 十六歳の誕生日の翌日、目覚めると家の中は空っぽで、その代わりテーブルの上にはまだ湯気をたてる朝食が並んでいた。いつもそこで頬杖をつきながら新聞を読んでいるはずの養い親は、もういなかった。
 そう言えば寝る前に、妙にやさしげに頭を撫でておやすみ、と言っていた。てっきり自分の目の前で消えてゆくのだと思ったのだが、当てが外れた。葉月はぼんやりとテーブルについて、もそもそと食事を始めた。
 朝食は美味しかった。焼きたてのベーコンも、茹でたての卵も、作りたてのバターをそえたパンも、なにもかも。
 馬鹿だ、と思った。彼は馬鹿だ。五年も一緒に暮らしていて、しかも養い親だと公言していたくせに、葉月の本当にほしかったものをなにひとつ理解していない。
 本当に馬鹿だ、とつぶやいて、葉月は残りの朝食をいそいで飲み込んだ。

 本当は言いたいことがあった。言わなくてはならないこともたくさんあった。けれどそういうものは全部自分はどこかに置き忘れてしまって、彼は聞きそこねたまま、月に還ってしまった。
 与えてもらったものはたくさんあるのに、与えたものはなにもない。せめて今からでも自分の言いたいことが彼にとどくように、葉月は月見草を窓辺に飾ったのだった。

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