相手の中に占める自分の面積はさして広くもないのに、自分の中に占める相手の面積ばかりがどんどん大きくなっている。脳細胞を侵食するこの毒を、なんとかしなくてはならないことを知っているが、特効薬が見当たらない。手遅れになりつつある身体を抱えて、何故わたしだけが、と叫んでいる。

 目の前に己と同い年の、それも女の同僚がいて、単なる友人では済ませることのできない関係を持っているということに、この男は気付いていないのではないかと思う。もしくは気付いてはいても、気が回せないほどに鈍いか。
 ダニエル、つまり彼に関して言えば後者の方が有り得そうな気がして、ヘルガはこっそりためいきをついた。が、それにも気付かないまま、ダニエルは話を続けていた――今年で十七歳になる、彼の養子の話だ。そんなわけだから、適当に相槌を打ちながら、ヘルガの脳味噌は違うことを考えていた。
 先に惚れた方が負け、とはよく言うが、まったくもってその通りだと思う。大体、先か後かどころの話ではなく、相手の方はこちらに惚れてもいないのだ。タチが悪い。
「ヘルガ? 具合でも悪いのか」
 さすがにぼんやりしすぎていたのを見とがめられたのか、ごく思いやりのある声音でダニエルがそう言った。下からこちらを見上げてくるまなざしが、どうにも不安そうだった。
 これだから、嫌いだ。やさしくされて舞い上がりそうになる自分も、妙な博愛精神でもってやさしくしてくる男も。……なにより、刻一刻と感情を侵食する、特効薬のないこの病が。
 台本を無くしたままステージに立つ女優の気分で、ヘルガはうっすらと笑った。
「飲みすぎたのかもね。送ってくれる、ダニー坊や?」
 誰が坊やだ、とぶすくれた顔――それこそが坊やの証拠だろうに――でつぶやきはしたものの、ショットグラスの中身をすばやく飲み干すと勘定を回してくれとバーテンダーに頼んだ。それからちょっと肩をすくめながらこちらを向いて、
「タクシー代は高く付くぞ」
 ひどく魅力的なウインクをよこした。

 まったく道理に合わない。世の中、物事はギブアンドテイクだと教えられて育ったのに、これではまったく自分の方が与えっぱなしだ。
 それでも気まぐれな熱が時折は自分のとなりにあるのなら、この理不尽さにも少しは目をつむらなくてはならないのかもしれないと、男が帰った後のベッドでそう考えた。

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