はるかなひと。
2004年2月29日 アクア=エリアス(?) 最近、とみに従兄のことを思い出すようになった。それは昔彼が担っていた役職を、そのまま自分が引き継いだせいなのかもしれない。あるいはまた会いに来ると言った彼が、さっぱり訪ねてこないせいなのかもしれない。どのみち月代が思うことといえば、ひとつきりだった。
――自分は、彼ほどに強くあることはできない。
髪が汗に濡れて、べっとりと額に張り付いていた。幾重にもまとわりついた装飾品や日ごろ着慣れない祭典用の衣装が、ひどく重い。月代は荒い息を整えながら、ひときわ体力をうばう原因である杖を地面に置いた。これから急いで禊ぎを済ませ、今度は一族全員の前で、次代の神官長として祈らなくてはならないのだ。
つくづく、あの従兄はよくもこんなつまらない、しかし重大かつ疲れる仕事を平然とこなしていたと思う。九尾の、とか、満月の、とか言われていただけあって、やはり彼は特別だったのだ。
ためいきをついて父の待つ泉へと踵を返しかけた――が、そこでふと、月代を呼び止める声があった。
「…そうか、月代ももうそういう年だっけな」
従兄だ。
それがわかっていたから、呼吸をなだめてからゆっくりと振り返った。何故といって、汗みずくで肩で息をしているようなみっともない姿を、彼に見せたくはなかったので。
「また来るって言った割に、ずいぶん遅いんじゃないか」
そう皮肉ると、彼は苦笑したようだった。
「なかなか機会がなくてね。今度来る時は、葉月を――君の甥なんだけどさ、連れてこようと思ってたし」
「こんにちは、おじさん」
ひょこりと従兄の影から、小柄な影が姿を見せた。それは子どもだった――年のころなら十四か十五、しかしその割に、いまだ二次性徴らしきものの見られない。
従兄が、その子どもは姉の遺産なのだと教えてくれた。葉月・K・ガイアス。一族に共通の銀髪と獣の耳、そして尻尾を兼ね備えてはいるが、そこだけは父親の血なのだろう、金の目をした子どもだった。
なにを話したのだか、よく覚えていない。ただ少しして、従兄が子どもを、お祖父さんに会っておいでと言って外に送り出した。それが父のことをしめしているのだと思い当たるのに、月代は少しかかった。
従兄はしげしげと、まだ装飾品や豪奢な衣装で飾られたままの月代をながめ、懐かしそうに笑った。
「さっきの舞い、なかなかよかったよ」
「……氷河に言われたくないな。傷付く」
「どうしてさ」
従兄は首をかしげた。ああ、彼には理解することなど一生――いや、もう人生を終えているから、死んでもなお、か――できないのだろう。何故といって、彼はあらゆる人々を、比べることもおこがましいまでに引き離していたのだから。
答えを返すこともなく、月代は一度は置いた杖を再び手にし、従兄にそっと手渡した。
「踊ってくれないか。俺か……姉さんのためでもいいから」
彼は少しとまどったようだった。月に祈ることを赦されない亡霊の身では、いまさら舞うこともできないと言わんばかりに。
だが結局のところ、従兄はどこまでも一族の一員でしかなく、……彼はうやうやしく杖を取り、すぅっと呼吸をととのえると、舞った。
月光がさんさんと降り注ぐ。木々の合間を縫って、新月前のくせに、異常なほどに輝いて亡霊を照らし出す。
やはり彼ほど強く、月に愛されることはできない。死してなお愛し子と呼びかけられる彼を、月代はうらやましいと思った。
――自分は、彼ほどに強くあることはできない。
髪が汗に濡れて、べっとりと額に張り付いていた。幾重にもまとわりついた装飾品や日ごろ着慣れない祭典用の衣装が、ひどく重い。月代は荒い息を整えながら、ひときわ体力をうばう原因である杖を地面に置いた。これから急いで禊ぎを済ませ、今度は一族全員の前で、次代の神官長として祈らなくてはならないのだ。
つくづく、あの従兄はよくもこんなつまらない、しかし重大かつ疲れる仕事を平然とこなしていたと思う。九尾の、とか、満月の、とか言われていただけあって、やはり彼は特別だったのだ。
ためいきをついて父の待つ泉へと踵を返しかけた――が、そこでふと、月代を呼び止める声があった。
「…そうか、月代ももうそういう年だっけな」
従兄だ。
それがわかっていたから、呼吸をなだめてからゆっくりと振り返った。何故といって、汗みずくで肩で息をしているようなみっともない姿を、彼に見せたくはなかったので。
「また来るって言った割に、ずいぶん遅いんじゃないか」
そう皮肉ると、彼は苦笑したようだった。
「なかなか機会がなくてね。今度来る時は、葉月を――君の甥なんだけどさ、連れてこようと思ってたし」
「こんにちは、おじさん」
ひょこりと従兄の影から、小柄な影が姿を見せた。それは子どもだった――年のころなら十四か十五、しかしその割に、いまだ二次性徴らしきものの見られない。
従兄が、その子どもは姉の遺産なのだと教えてくれた。葉月・K・ガイアス。一族に共通の銀髪と獣の耳、そして尻尾を兼ね備えてはいるが、そこだけは父親の血なのだろう、金の目をした子どもだった。
なにを話したのだか、よく覚えていない。ただ少しして、従兄が子どもを、お祖父さんに会っておいでと言って外に送り出した。それが父のことをしめしているのだと思い当たるのに、月代は少しかかった。
従兄はしげしげと、まだ装飾品や豪奢な衣装で飾られたままの月代をながめ、懐かしそうに笑った。
「さっきの舞い、なかなかよかったよ」
「……氷河に言われたくないな。傷付く」
「どうしてさ」
従兄は首をかしげた。ああ、彼には理解することなど一生――いや、もう人生を終えているから、死んでもなお、か――できないのだろう。何故といって、彼はあらゆる人々を、比べることもおこがましいまでに引き離していたのだから。
答えを返すこともなく、月代は一度は置いた杖を再び手にし、従兄にそっと手渡した。
「踊ってくれないか。俺か……姉さんのためでもいいから」
彼は少しとまどったようだった。月に祈ることを赦されない亡霊の身では、いまさら舞うこともできないと言わんばかりに。
だが結局のところ、従兄はどこまでも一族の一員でしかなく、……彼はうやうやしく杖を取り、すぅっと呼吸をととのえると、舞った。
月光がさんさんと降り注ぐ。木々の合間を縫って、新月前のくせに、異常なほどに輝いて亡霊を照らし出す。
やはり彼ほど強く、月に愛されることはできない。死してなお愛し子と呼びかけられる彼を、月代はうらやましいと思った。
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