俺はあまり体調を崩さない方なんだが、だいぶ前に一度、風邪を引いたことがある。その時はもう、俺の家には彼女がいた。
 さすがに熱が出てくると、いくら俺でも人間だから、動くのが辛くなる。おまけに喉は痛いわ咳は出るわで、本当はその夜は寝ていたかったんだが、あいにくそろそろ彼女が食事をするサイクルが回ってくるころだった。
 俺は彼女に死体を提供して、彼女はその代わりに俺の犯罪証拠を隠滅する。それが俺たちの契約だった――破るわけにはいかない、契約。
 それで俺は市販の風邪薬と解熱剤を飲んで、よろよろしながら夜中の街に出た。彼女は家にいなかったが、血の匂いを嗅ぎ付ければ、どこからかやってくるはずだった。

 真夜中の公園、木の陰に身をひそめて息を整えながら、俺は獲物が来るのを待った――できれば今日は、女がいい。男だと、抵抗されると今はちょっとマズいかもしれなかった。
 どのくらい、待ったのか。足音が聞こえて、俺ははっと目を覚ました。解熱剤のせいか、寝ていたらしい。
 あわてて小道の方を見てみると、向こうから大きな荷物をかかえた女子高生がやってくる。運動系の部活なんだろう、ショートカットの、活発そうな子だった。
 俺はするりと木陰から抜け出ると、一息に女子高生との距離を詰めた。そうしながら、手にしたナイフをいいように握り直す。その子の喉を切り裂き、仕上げに心臓を一突き、それで今日の俺の役割は、果たされるはずだった。
 が、女子高生は意外と素早かった。おどろきながらも咄嗟に彼女はのけぞり、俺のナイフは皮一枚を切り裂いて、空を切った。マズい、と俺は舌打ちした。俺はそう体力がある方じゃないので、一撃必殺が不文律なのだ。それに、仕留め損ねると人を呼ばれる恐れがある。
 案の定、女子高生は青ざめてさっと身をひるがえし、一体コイツは陸上の全国大会にでも出場したのかと思うほどの速さで走り出した――ギャアギャア、叫びながら。
 いくら住宅街からやや離れた場所にある公園とは言え、これ以上叫ばれると俺の身が危ない。こっちも青ざめて、俺は高校卒業以来こんなに懸命に走ることがあっただろうかと思いながら、女子高生を追いかけた。
 幸いだったのは、俺が高校時代マジメに部活の走り込みをしていたことと、女子高生が途中で一度転んだことだろう。ほどなく俺は彼女に追いつき、その背中にナイフを突き立てた。心臓を食い破る冷たい牙に、哀れな少女は絶命した。

 しばらく俺は、死体の隣で荒い息を整えていた。風邪引きのクセに無理をしたおかげで、苦しかった。だが、これで彼女も喜んでくれるだろう。俺から離れることもない。俺は少しほっとしていた。

「――何、ソレ」

 ふと彼女の声がして、俺は顔を上げた。

「ああ。お前の。そろそろじゃなかったっけ」
「そうだけど。……ねぇ、臭い」

 あんまりと言えばあんまりなセリフに、俺は顔をしかめた。それが、お前のために努力した風邪引きの男にかける言葉なのか?
 だが彼女は俺の気持ちなどおかまいなしにこちらに身を寄せてきて、俺のあごをぐいっとつかんだ。そのまま、大好きな深いキス。

「クスリ、飲んだ? 臭いよ」

 唇を離した彼女は、ささやくようにそう言って、俺の手にこびりついた女子高生の血を舐めた。ぞくり、と背筋を快感が走る。この女は、意識してこんなことをしてるんだろうか。

「ねぇ、人間なんだから、無理しないでね。せっかくだからコレはもらっておくけど、ちゃんと治るまで、家で寝てよ」

 無理させて君がいなくなっても、おもしろくないから。そう言って、彼女はもう一度俺にキスをした。

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