どこから足がついたのだか、わからない。誰かに見られた記憶もなかったし、仮に見られたとしても、俺か、あるいは彼女が、目撃者を屠るから、そんな存在が残るはずはなかった。死体だって彼女がきれいに、それこそはらわたのひとつ、血液の一滴残さずに味わうから、発見されるわけがない。
 唯一あやしまれることがあるとすれば、それはたぶん俺の匂いだろう。いつか彼女が、君は血の匂いがすると俺に微笑んだことがある。それが、敗因かもしれない。

「――クンだね。署まで来てもらっていいかな」
「どうぞ。いいですよ」

 俺にはあまり執着というものがない。ドライすぎると、友人は言う。それは悪いことじゃないだろう、諦めが早いのは、世の中肝心だと俺は思う。
 刑事が俺の両脇を固めて部屋から連れ出し、家賃六万/月の部屋にずかずかと上がり込む。俺はぼんやりと、階段のところでそれを見ていた。

「警部、凶器です!」
「意外と小さいな。これは君のだな?」

 愛用のナイフを少しはなれたところから見せられて、俺は素直にうなずいた。そう、それは俺のだ。アメリカ空軍パイロットの、サバイバルナイフ。刃渡り十三センチとちょっと、重さは三百グラムない。使いやすいてごろなサイズで、気に入っていた。
 若い刑事がそのナイフをビニール袋に放り込み、また部屋の中に消えた。警部と呼ばれた年かさの、ちょうど俺くらいの息子や娘がいてもおかしくないようなオヤジが、憐れむようにこっちを見てきた。
 俺は、どうして足がついたのかとずっと不思議で、そればかりが知りたくて、オヤジに話しかけてみた。

「どうして見つかったんですか、俺」
「現場に君の髪が落ちていた」
「はぁ、そんなもんで。最近はすごいんですね」

 しかし、だったら彼女も一緒に捕まっても、おかしくはなさそうだが。まぁバケモノは、警察なんかに捕まらない方法も心得てるんだろう、たぶん。
 俺が間の抜けたことを言ったからだろう、オヤジは気味悪そうに顔をしかめて、それきり俺の方を見ようとはしなかった。こっちも考え事をしたかったので、ちょうどいい。俺は目を閉じて、ヘマをしたのは一昨日の夜だったのか、それとも二週間前だったのかを思い出すことにした。

 しばらくすると部屋の捜査も終わったのか、俺はパトカーに乗せられることになった。さっきのオヤジが、また憐れむように見てくる。頭のおかしい若いの、とでも思われてるんだろうか。なかなか人情がある。きっと胸を捌いたらゾクゾク来るに違いない。彼女も美味そうに食ってくれるだろう。
 そこでふと思い出したが、俺という狩人がいなくなったら、彼女は一体どうするのだろう。絶妙なサイクルで死体を提供してやる男も、その後に大好きな深い深いキスをくれてやる男も、ましてや帰ってから血の匂いにまみれて抱いてやる男もいなくなる。
 彼女が途方に暮れる姿がちらりと頭をかすめて、俺はオヤジに声をかけた。

「友達が心配すると悪いんで。書き置きしてもいいですか」
「友達?」
「はぁ。なんか、よく俺のところに来るんで」

 オヤジが許してくれたので、俺は手錠をはめられた不自由な姿勢のまま、彼女にメモを残した。

『肉まんの金はタンスの上から二段目。帰りは遅くなるだろうから、好きなもんなんとかして食ってて。』

 気まぐれなバケモノのことだ、どうせ一週間くらいしても俺が戻らなきゃ、またなんとかして人を食って行くに違いない。――俺のことなんか、きれいさっぱり忘れて。
 そう考えると、少しだけ辛かった。

コメント