呪詛と愛情。

2003年8月26日
 「呪われろ!」

 魔女は一声鋭く叫び、ぎらぎらと不気味に光る琥珀のまなざしで、上空を飛び去りゆく飛行機を見据えた。

「呪われろ、彼を脅かすすべてのものに、災い有れ!」

 途端、目を開けていられないほどの突風が吹きすさび、辺りの雑草や木々の葉をもぎとった。魔女の髪と質素な黒いスカートが、あおられてばたばたとやかましい音を立てる。
 巻き上げられた小石がそのやわらかな皮膚を叩かないことはないだろうに、魔女は平然と風と土埃の中に立ち尽くしていた。痛みを覚えていないのだろうか、それとも自然現象すら彼女を避けているのだろうか。その事実は何よりも、彼女が魔女である証のように思えた。夜叉のように怒り狂う彼女は、美しかった。
 一瞬魔女に目を奪われて、それでも青年はすぐに我を取り戻した。
 彼女を止めなくてはならなかった。不要な騒ぎを、国外で起こすわけにはいかない。ましてやこちらはただの旅行者ではなく、見つかれば危ない立場にある者たちなのだ。
 吹き荒れる風に自らの叱責が流されてしまわないよう、彼は絶叫した。

「ミス、彼は死んでない――やめるんだ、国外に出られなくなる!」

 それでも魔女は、悪風の中、懸命に跳び続ける飛行機から目を離さなかった。ぞくりと背筋を震わせるほどの、執念だった。

「モーガンッ!」

 青年が叫ぶとほぼ同時、魔女の姿がわずかにブレてその背の高い、けれども華奢な身体から、何か灰色のノイズのようなものがあふれ出した。ノイズは瞬く間にもうひとつのぼやけた魔女の姿を作り上げ、

「永久に、天上でも地の底でも、私の業火に呪われるがいい!」

 その絶叫に乗せられて、よろめく飛行機目指して一直線に飛んだ。背筋を伸ばし、矢のように。
 それからの出来事は、何か悪夢を見ているかのようだった。
 呆然と空を見上げる青年の眼前で、灰色のノイズがくるりと飛行機の周囲を巡った。パイロットをからかうかのように、凶悪な薄笑いを浮かべた魔女が操縦桿に手を伸ばし、乱暴に機体を振り回す。翻弄された哀れなパイロットは、自分の思うとおりにならない機体に焦りを覚えているようだった。
 次いで魔女は、エンジンにも悪戯を仕掛けたようだった。目に見えてその飛行機は失速し、高度を下げ、落ちると青年が確信した途端、黒煙を上げ始めた。
さすがにパイロットも、これ以上はかまけていられないと判断したのか、パラシュート脱出を決行した。悪くない、むしろ賢明とさえ言える判断だったが、彼をも魔女は許さなかった。
 ノイズの魔女は己を一陣の風と成し、パラシュートを思いっきりあおった。二度、三度と。その風に吹き上げられ、出来の悪い操り人形のように、パイロットは今まで彼が乗っていた飛行機の尾翼に激突した。
 その激突は一度きりだったが、彼を死に至らしめるには十分だった――人影は動かなくなり、おだやかになった風にゆらゆらと揺れながら、地面へと墜ちていった。ノイズの魔女は満足したように笑い、かき消えた。
 上空の悲劇を見届けると、地上の魔女はゆらりと振り返り、嘆いた。先ほどの青年の叱責を、きちんと聞き届けていた証に。

「例え中尉殿が生きていたとして、彼を傷付けた報いは受けるべきだよ。…そうは思わない、曹長?」

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