白日夢の戦争。

2003年8月25日
 夢に見るのは、かつて愛した、今でもなお愛おしい男の笑顔だった。
 きれいな金髪と碧の目が、初めて自分に向けられた日のことを、今でも魔女は思い出すことができる。百年前に戦場で出会ったその青年は、彼女の記憶に鮮やかに刻みつけられていた。

「モーガン、戦争が終わったら、俺と一緒に暮らそう」

 遠く、草木の豊かな土地に両親と妹が待っているのだという青年は、臆面もなく魔女にプロポーズした。
 戦争が終わったら。その言葉がもうすぐ真実になることを、魔女は知っていた。そのように裏工作を仕掛けたのは、他ならぬ彼女自身だったので。
 けれども青年と一緒に暮らすことは、どう考えてみても真実になりそうにはなかった。何故なら青年はごく普通の人間で、魔女はどうあがいても魔女でしかなかったからだ。
 それなのに魔女は、青年の言葉に突き動かされそうになっていた。彼の背後に広がる、広大な小麦畑を、白日夢に見ていた。
 晩春、おだやかな風にそよぐ小麦と、その中に立つ青年と自分。幸せな、男と女の姿。
 はるか昔、まだただの少女だったころに見た景色を振り払い、顔を背けると、諦めきった声音で魔女は応えた。

「わたしは魔女なんだ、独りで暮らすのが好きなんだよ」

 嘘だ、と青年は呟いた。魔女は弾かれたように視線を上げて、己を睨み付けるかのように見つめている青年に、何故そう思うのだと問うた。その声はかすかに震え、とまどいを隠しきれないでいた。

「独りでいるのが好きなら、どうして一番最初に、ポーカーに参加した? あれがなければ、俺は君を好きにはならなかった」

 嘘を吐き続けることが難しかった。とても。魔女は震える手で拳を握りしめ、うつむいた。
 虚勢を張り続け、青年を欺くことが、魔女に許された唯一の、人と関わる術だった。そうしてはいけないことも、そうしたくはないこともわかっていた。わかっていてなお、――彼女はそうした。
 皮肉な薄笑いを浮かべ、魔女はゆるゆると顔を上げた。唇の端を持ち上げただけの笑顔は、とてつもなく冷たく映るのだろうと、押し込めた心がぽつりと嘆いた。
 大きな風がざぁっと戦場に吹き渡り、魔女の髪を嬲る。長い黒髪はうねって、彼女の瞳を押し隠した。

「たまにはね、……遊ぶのも良いかと思った。それだけだよ」

 見る見るうちに青年の顔がゆがむのを、魔女はどこか遠くから眺めていた。嫌われたなと即座に悟った彼女は、ふふっと小さく、自嘲の笑いを漏らした。
 ところが青年は、それでもまだ魔女の純心を掘り返そうとあがいた。
 大股で、半ば駆け寄り、不作法なほどの至近距離で彼は彼女の肩を掴み、琥珀色の目を見つめた。彼の目は、考え事をすべて見透かしてしまいそうな碧。風に揺れる小麦畑、もしくは砂漠にぽつりと育った、ちっぽけだけれど力強いグリーン。
 見つめられたくなくて、魔女はそっと視線を外した。

「嘘だろう、モーガン」
「…わたしは、嘘など」
「それこそ嘘だ」
「いい加減にしてくれ、あなたと一緒に暮らすことなんてできない!」

 絶叫し、青年のあたたかな手を振り解いた。そうした途端、己の手の甲に散らばった冷たい雫を、魔女は何か他人事のように理解した。
 涙。それをこぼしたのは、一体何年ぶりのことだっただろう。
 ぼろぼろと、押し込めきれない高ぶりのままに泣きながら、魔女は後ずさって青年から距離を取った。ただひたすらに、この場から逃げ出したかった。

「あなたが年老いて死んでしまってもわたしはこのままなのに、そんな残酷なことを言うの、ギルバート…?」

 砲声が遠くで響いていた。どこかの分隊長が怒声を張り上げて、何か失態をやらかしたらしい兵士を叱っていた。荒野を渡る風は熱く乾いていて、緑はひとかけらも見当たらなかった。
 その年の晩春、戦争は終わりを告げた。魔女は勲章を辞退し、代わりに小麦畑の真ん中に小さな家を与えられ、隠遁した。金髪と碧の目の青年は、戦死していた。

 魔女は今でも夢に見る。白日夢のような戦争にかき消えた、己を愛した男の姿を。

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