君とダンスを、この夜に。2006年4月23日 交点ゼロ未満

 今日のために買ってもらったドレスは強い日差しを浴びて輝く波のような色のマリンブルーで、肩のストラップに安っぽいけれどとてもきれいなビーズのアクセントがついているところと、ダンスでターンするとふわりと広がって花のように見える軽い裾がお気に入りだった。のどもとを飾るのはこの間の誕生日にダニエルの実母リサがわざわざ日本から贈ってくれた、シンプルだけれどヘルガでさえちょっと目を見張るほどものの良いパールのネックレス。髪も大人っぽくアップにして「オズの魔法使い」に出てくるドロシーのような銀色の靴を履いて、だからダンスパーティは大成功だった。
 バイバイ、と親から借りたという車で家の目の前まで送ってくれたエドワードにとびきりの笑顔で手を振って、カタリナは軽やかに夜露に濡れた芝生を踏み分け、玄関ではなく庭へと回った。外へ出ることのできる大きな窓はいっぱいに開けられて、白いレースのカーテンが風をはらんでふくらみ、ゆらゆらと手招きをしている。銀の靴を脱いで内側に引き入れ、きれいに並べて置いておく。
 リビングは暗かったが、向こうのダニエルの小さな仕事部屋のドアがわずかに開いて、そこからやわらかなオレンジ色の光がこぼれていた。興奮に火照った身体を心地よく冷やしてくれる床の冷たさを足の裏で感じながら、カタリナはひたひたとドアに歩み寄った。
 近づくにつれてカタリナは、部屋からカタカタとすばらしいリズムでキーボードを叩く音と、それからカタリナの知らない、けれどもチェロの、低音がひどく耳にやさしいクラシックが聞こえることに気づいた。時刻はもう真夜中だが、ダニエルは相変わらず忙しくしているらしい。
 こんこん、と軽くドアを叩くとキーボードを打つ音が止まり、がたりと小さな音を立ててダニエルが立ち上がったことをカタリナに知らせた。次いでもう少しだけドアが開いて、昔はずっと高かった、今はそうカタリナ自身と変わらない背丈の青年が姿を見せる。仕事用の軽い度が入ったメガネをかけ、一日を終えてくたびれたカーキ色のシャツをそのまま着ていたダニエルは、疲れたように少しだけ笑った。
「――お帰り。楽しかったか?」
 そのまま彼だけの空間からするりと抜け出て、ぐんと大きく全身を伸ばすダニエルは、どこかしなやかなネコ科のけもののようにカタリナには見えた。
「うん、すごく。あんなの、私、初めてだった。ドレスも、きれいってほめてもらったよ」
 そうか、とひかえめながら我がことのように親身な喜びをその声ににじませて、二十六歳の父親は十六歳の娘の頭をそっと撫でた。それからそっとレディの手を取ってさりげない調子でソファに座らせ、ダニエルの方はその斜め向かいにカウチの背にもたれて気楽なふうに立ったままでいた。
「ともかく、パートナーの足を踏まなきゃ上出来だよ。俺はそれで失敗したんだ、緊張してて――でも今でもダンスは苦手だな」
 嘘、と笑いながらカタリナは目尻に浮いた涙を指先でぬぐい、首を横に振ったが、ダニエルはいや本当に、と言ってゆずらなかった。だが、その口調からも失敗談を語る口調からも、先ほどべっとりと彼に張り付いていた疲労は抜けていた。
 しばし嘘だ本当だの押し問答を繰り返した挙句、業を煮やしたのはカタリナだった。そんなの、とつくろった傲慢なしぐさと口ぶりでつん、とダニエルにのたまう。
「体験しなきゃ、私、信じない」
 ダニエルは眉を跳ね上げてふん、とおもしろそうに鼻を鳴らすと、後悔するなよ、と確実におもしろがっている色をにじませながらつぶやいた。女王めいてゆったりとソファに腰を下ろすカタリナに、ごく洗練された紳士の礼をひとつ。
 顔を上げた彼は、引き込まれそうに深い東洋人の黒い目で、じっとカタリナを見つめた。
「――Shall we dance?」
 にっこりと笑ったカタリナの答えは、始めから決まっていた。

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